老年看護学

今日は老年看護学の授業が
なかなか面白かった。


老人を見るとき、その人の歴史と共に
見なければ、看護にならないという事が
わかりました。


病気の老人を見るとき、看護者に関わらず
多くの人が


「病気の老人」


という


「今」


にしか目を向けない傾向があります。


でも、いま、目の前にいる「病気の老人」は
生まれたときから「病気の老人」ではなかったわけです。


赤ん坊として生まれて、子供時代を過ごし
大人になり、家庭をつくるなり、社会的な立場なりを
築いていく中で、様々な事を感じて「今」が
あるわけです。
その歴史を無視しての看護は、成り立たないそうです。


エリクソンの発達段階の中で
老年期は英知の統合みたいな位置づけです。


その人生か良かろうが悪かろうが、受け容れなければ
いけないという辛さがあります。


人生を「振り返る」という行為は、どの年代でも
ありますが、その「振り返り」の作業は、
歳をとればとるほど、辛い作業になるそうです。


何故なら、歳をとるということは、
振り返った人生に後悔があっても、
やり直す事が出来ないからです。


物理的に「やり直す時間がない」というのが、
老年期のもっとも辛い部分だそうです。


やり直せない以上、受け容れるしかないわけです。
でも、100%受け容れられるような完璧な人生を
送れる人間というのはいません。
大なり小なり、駄目な部分も認めて、
「それも、私らしい人生だった」
という気持ちになれれば、老年期は
充実したものになるそうです。


「病気の老人」を目の前にしたとき、
「今」病気の為に「出来ないこと」に
目を向けるのではなく、
その人が、その人なりに頑張って生きてきたことを
認めることが、まずは、老年者の看護のスタートに
なるようです。