希望

回復の見込みの無い人の希望って
なんだろうか?って思います。


命はある。言葉も話せる。
でも、四肢はまったく動かない。
知覚もほとんどない。


でも、自分の病態を知らされていない。
うすうすと感じつつ、
本当の所はどうなのか、
決して追求しない患者さんの希望って
なんなんでしょうね・・・・?


末期がんの患者さんの希望って
もちろん、生きたいってことですけど、


それがかなわないなら、
アイスクリーム食べたいとか、
痛みが無いとか、なんというか
小さな望みを日々叶えていくことが
希望になっていくっていうような話を
終末期のケアの授業でききましたが、



じゃぁ、命はこれから何年でも
生きられる。でも、何一つ自分の
体は動かない。そういう人の希望って
何なんでしょうね?


日々の小さなことを代行することは
必要なことではあるけれども
その人にとっても「希望」ではないでしょうし・・・。


あー、難しいねぇ・・・。


こういうときね、信仰する宗教を
持っていると楽だなって思ったりする。


その宗教の価値観というか世界観の中で
自分の価値や希望が見つけられるから・・・。


たとえば、私はクリスチャンだから、
「神様はどうして私をこんな目にあわしたのか?」
って嘆くだろうけど、


「それでも、私を生かそうとする神様は、
 私にどうしろというのだろうか?」


って考え始めるようになるだろうなぁって
思います。


まぁ、その後の結論は、どうなるか分からないし
「私にどうしろというのか?」って思いに至るまでに
何年もかかるかも知れないが、
とりあえず、宗教ってよりどころは、
こういう危機的状況の時には、大活躍だなぁ


なーんて、不謹慎な事を思ったりもします・・・。