修養会

今日は、教会の修養会で、「神様にささげる時」
という題名で、グループに分かれて話し合いました。


私のグループは、受洗して40年とか50年という人々が
多かったので、昔話などが沢山聞けて面白かったです。


受洗からもう50年ほど経つS氏の話が
とても面白かったです。
S氏は、全然神様を信じていなかったとき、
たまたま通っていた教会の
牧師が倒れてしまい、
つい「僕に何か出来る事はありませんか?」
と言ったのが運のつき!!だったそうです(笑)


「じゃぁ、教会学校のお話をしてください」


といわれ、信じても無い神様の話を子供達の前で
しなければならなくなり、「信徒の友」など読んで
勉強するものの、信じてないから言葉にならなくて
苦労したそうです。


でも、子供達と聖書を読み、讃美歌を歌う日々を
過ごすうちに、自分が「生き生きしている」ということに
気が付いてしまったそうです。


神様を信じてないのに、
神様を賛美して生き生きしている自分に
自分自身が気が付いてしまった。
生き生きしているという紛れも無い事実は
否定のしようがない。
ごまかしようのない気持ちにぶつかってしまった時、
何でも自分で主体的に物事を決めてきた自分だったのに、
神に従うしかなくなってしまった。



というようなお話が聞けました。
いやぁ、人が神様を信じるようになる経緯って
百人百様で面白いですね。