精神力動論その2

精神の構造は、


イド(id)
自我(ego)    
超自我(super ego)
& 外界


で成り立っています。


自我が、イド・超自我・外界の3方向からの
欲求をコントロールしています。


<イド>
イドは「〜したい」という欲求や衝動、
いわゆる本能の部分です。
つまり、うまれてきた時の心はイドそのもの
ということになります。そして、このイドは、
欲求や衝動で構成されており、快楽の原則で
動きます。


フロイトはイドを構成する欲求や衝動を
性の本能、性の欲動とし、リビドーと呼び、
このリビドーが、行動を起こさせるための
心的エネルギーであると位置づけたそうです。


余談ですが、
フロイトの力動論はこのリビドーの部分が嫌われている
らしく、この部分で論争が起こりやすいそうです。


イドの衝動は性衝動であると同時に死の衝動でもあります。
この衝動は攻撃欲求とも言われ、これが他人を責めたり、
自分を責めたりする行動となるようです。
自分を責める究極の衝動が「自殺」ということになります。


<自我>
自我はイド、超自我、外界の間に位置しており、
現実的な部分をつかさどります。現実に沿って
考える機能が、この自我です。
自我は自分らしくありたいという欲求と、
外界やイドの欲求と、超自我の抑圧をコントロールして
現実に則した形で自分らしさを出そうとします。


つまり、色々な欲求を調整して現実世界の中で
自分らしさを失わないような、現実に則した精神活動を
することを目指しているのです。


防衛機制もこの自我の
部分にあると考えられています。
防衛機能が自我の部分にあるから、
いやな事を思い出して、取り乱したり
自分を見失わないような調整ができるのです。


一般に統合失調症の人はこの自我が弱いと
言われています。そのため、
様々な刺激から自分を守る事が
できないそうです。
例えば、外界が要求する「こうありなさい」というのを
拒む事が出来ず、全て抱え込んでしまうのは、
自我が弱いために、外界と自分の欲求の
コントロールが出来ないから、
結果的に「自分」というものを維持出来なくなっていく
ということのようです。


超自我
超自我は親のしつけ内在化と言われてます。
「〜しなくてはならない」という考え方はこの超自我
の部分です。良心の規範や理想を作るのが超自我
役割です。


これは、2歳から3歳にかけてしつけを通して出現し、
5歳から6歳で内在化します。
「悪いことはしてはならない」けれど、
イドの欲求が強くて、超自我がそれに負け
「親が駄目ということ」をやってしまったとすると、
本人としては、そのことで
罪の意識、劣等感、後悔を感じます。


逆に「いい事をしなくてはならない」と感じ、
イドの欲求を押さえ込んで、頑張る事で、
本人の喜びや、満足につながります。
この満足や喜びは「理想」を作り出す事になります。
これは「理想自我」という、「こういう人になりたい」
という気持ちを作り出すものでもあります。


しかし、この超自我が強すぎると、これはこれで
問題になります。
一般にうつ病や、神経症の人は超自我が強いと
言われています。


つまり、常に「〜ねばならない」と自分を縛りつけ、
どれほど頑張っても満足できず、常に劣等感に
さいなまれるなどの問題が出てきます。
そういった精神の状態が続くと、例えば、
会社に行こうという意識があるのに、
筋肉が全く動かせないなどの症状が出てきます。


運動筋肉のコントロールは自我がやっているのですが、
この自我が超自我をコントロールできない状況にまで
陥ってしまった場合、そういった症状にまで
発展していきます。


なので、よく「うつ病で会社を休みがち」といわれますが
本人は、行かねばならないと思い、頑張っているのだけれど、
体がどうしても動かないのです。


それを家族や社会が無理解で、
「体に異常がないのに動けないのは怠けているからだ」
と言って責めるのは、ますます追い詰めることになるので
絶対にしてはいけないのです。
うつ病の人の多くは、頑張りすぎるほど頑張ってきたから
そうなったんです。


ということで、明日は自我の機能をもう少し深く掘り下げます。