場面の再構成

さて、宿題の場面の再構成を
本日の会話を使ってやってみました。
この場面の再構成ってのは、
精神看護をやる上では、
とても大事ならしいです。


どう大事なのかはまだ詳しい説明を
聞いていません。


とりあえず、自分自身を深く見つめるとか
自分の傾向(考え方の癖)を知るのに
役に立つそうです。


先生からは、


「出来るだけ、不愉快で
腹の立つ会話が、向いてます」


といわれたので、
子供と宿題の件で揉める話を
再構成してみました。


そうしたら、すごい発見がありました。



怒っている時の私と子供の会話は、
まるで、



私と母の会話なのです。



私と母の会話は、母が一方的に話して
私が黙ってるってパターンです。


母が私に文句を言う場合だけでなく、
普段の会話も、私は差しさわりのない
「ふーん」って感じで終わるんですよ。


子供も、まさに、同じで、


私「ちゃんと約束したでしょ?」


子「・・・・・」


って感じです。
6応答ぐらいある会話の
全部が、


子「・・・・・」


で終わってるんです。(_ _;)


この発見をした時、
結構、愕然としました・・・。


でも、何故、自分が母親との会話で
基本的に「ふーん」って感じで
聞くだけで終わるのか、
考えるきっかけになりました。


私は、おそらく母親にある種の絶望感を
もっているんだなぁって思ったんです。


母親には何を言ってもわかってもらえない
って思ってるんですね・・・・。


姉がアメリカに嫁ぐ前、


「何故、お母さんは、ちょっとでも、
『私の何が悪かったかしら?』とか
『子供がどんな気持ちでその話をしているのだろうか?』
 って思う事ができないんだろうか?」



といい、



「もう、諦めた・・・・。」



と言って旅立ったんですが、
その姉の絶望感っていうのは、
良くわかるんですよ。



母は、ただ、自分が正しかった、
間違ってなかったって主張だけして
終わるんですよね・・・・。
すべてが・・・。


話したい事は、どちらが正しいかとか
そんなことではないのに・・・・。


もし、自分の息子が私に対しての諦めから、
何も発しないなら、
それは、一大事だと、私は思ったんですよ。


だとしたら、私のあり方に問題があると・・・・。
私は、母に育てられたわけだから、やはり、
母に似た対応をどこかでしているのだと思うんです。


それに私が気が付かなければ、
自分が母に持つ感覚と同じものを
子供に植え付けてしまうわけです。



こういうのも、世代間連鎖っていうんでしょうね・・・。



だだ、唯一の救いは、
そのことに気がつけたことですかね・・・・。
すごいですね、場面の再構成って・・・。
とりあえず、気がつけたなら、
何か変えることは出来るわけです。


で、ここで、ちょっと言い訳がましいですが、
一言断っておきます。


女性は、20代後半から30代に掛けて
母親との確執が浮き彫りになってくるそうです。


これは、友人が通っている精神科の先生が言っていたことで、
私も実感としてそうおもうんですけどね・・・。


特に、過去に適当にごまかした問題が
ある場合、なおさら、のようです。
で、こういう女性に、


「育ててくれた親の恩も忘れて何言ってんだ!( ゜Д゜)ゴルァ!」



とか言っちゃ駄目ですよ・・・・(笑)



多くが


「欲しくてもらえなかった愛情の裏返し」


の感情であって、憎しみの感情などでは
ないんです。


とまぁ、自分への言い訳もかねて、
一般に言われていることも書いてみました。